選ぶ。

こんにちは。黒田です。

 

 
 
本日は、
 
選ぶ。
 
 
 
 
 
 
多かれ少なかれ、
 
 
誰もが考える。

 

今まで。

これから。

 
 
 
 
 
 
見つめ、そして考える。
 
 
 
これまで何を選んできたか。
 
これからは何を選んでいこうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
選ぶ。
 
 
? 
 
 
 
 
 
選ぶ、と言うことは選択肢がある。
 
 
 
 
 
 
 
選択肢。
 
 
 
 
 
 
どのようにしてそれは選択肢の一つになったのか。
 
 
 
 
与えられた選択肢なのか。
 
自ら想造した選択肢なのか。
 
 
 
‘大体みんなそうでしょ’な選択肢なのか。
 
自らの考えで抽出した選択肢なのか。
 
 
 
 
 
 
 
 
・・・
 
 
 
洋服にも沢山の選択肢がある。
 
 
 
現代の私たちは、およそ、
自分の着る洋服を選ぶことが出来る。
 
 
そして「選ぶ」という行為には何層もの深みがある。
 
 
 
 
どこで。
 
どんなものを。
 
 
 
 
 
そして、それが
 
どのように作られ、誕生したのか。
 
 
 
 
私たちは考え、選ぶ事が出来る。
 
 
 
 
 
 
これまでどのような洋服を選んできて、
 
 
これからはどんな洋服を選んでいくか。
 
 
 
 
 
・・・
 
 
 
 
 
 
 
仕立て屋さんの仕事を誇りに思う。
 
 
 
仕立て屋さんの作る洋服には、
 
洋服を望む人
そして
洋服を仕立てる人
 
 
互いの「選ぶ」が何層にも織り合わさる
 
 
 
 
洋服を望む人が「自ら考えて選ぶ」を幾重にも重ねて
仕立てる者は、「選ばれた望み」を叶えるためにまた「選ぶ」
 
 
 
そうやって洋服を形にしていく
 
そんな仕立屋さんの仕事を誇りに思う。
 
 
 
 
 
・・・
 
 
 
 
 
 
ペコラ銀座店主、テーラー佐藤英明
 
 
彼も例外なく、選んできた。
 
現在の洋服づくりに至るまで
数々の選択をしてきた。
 
 
 
 
 
 
「中学生くらいから‘選ぶ’ことを考えてた。」
 
「高校生になったら、ものすごく考えるようになった。」
 
 
 
代々テーラーを営む家庭に生まれた佐藤英明
 
高校生当時の彼の選択とは、
 
 
父親のように、テーラーを志すか。
 
テーラーとは別の道を歩むか。
 
 
 
「父の‘ものを作ることは良いことだ’と言う事に、そうだなと思った」
 
 
そうして、テーラーになる事を決意した佐藤英明は、
 
高校を卒業後、
五十嵐九十九先生のもと弟子入りをし、
 
そのおよそ2年後、更なる勉強のために渡仏する。
 
 
 
「パリに行ってからは、一段と‘選ぶ’事に意識が高まった」
 
「20歳の頃は、ものすごく考えさせられた」
 
 
パリで洋服の様々な学びを深めながら、
一日一日の生活そのものに奮闘する日々を送っていた。
 
「道にしても、地下鉄にしても、そんな一つ一つでさえ‘選ぶ’事を意識した」
 
 
毎日のように選ぶ事を迫られるパリでの生活の中で
佐藤英明は人生における大きな選択をした。
 
 
 
「ミラノにやっぱり行く」
 
 
 
そうして
 
ミラノの巨匠、マリオペコラ氏のもとでの修行がはじまった。
 
 
ミラノでの修行には、父親は反対した。
デザイナーズの既製服の全盛期だった時代に、
父親はテーラーを志す佐藤英明を心配した。
 
 
それでも、佐藤英明は選んだ。
 
「僕はテーラーになる」
 
 
・・・
 
 
 
ミラノでの修行を終え、
帰国した佐藤英明の洋服づくりは
当時の日本では中々理解されなかった。
 
 
 
 
 
それでも、彼は選んだ。
 
「自分の信じる洋服づくりを続ける」
 
 
そして歩み続けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
選ぶ。
 
 
考える。
 
 
 
 
選ぶ。
 
 
 
 
 
 
 
 
自ら考え、選び、切り開き、歩む。
 
 
 
 
「選ぶと言う事はものすごく自由な事。ただ自分でそっちを選んだら、自分がそっちの責任を取らないといけない。でもそれって、すごくありがたい事。」
 
By Hideaki Sato